瞑想における5つの要素(仮説)

投稿日:2015年11月1日 | 最終更新日: 2020年10月10日

個人的な仮説ですが、瞑想には次のような5つの要素があると思っています。
これらは、ヘミシンクによる誘導瞑想を探求しながら、ヨーやホ・オポノポノ、マインドフルネス瞑想など他のプラクティスを実践する中で、自然に整理されてきました。

「弛緩」リラクゼーション

リラクゼーションは、すべての瞑想の基本です。
心身ともにリラックスすることから、瞑想はスタートします。
太極拳や気功、ヨーガなど、動中禅やダイナミック・メディテーションと呼ばれる、体を動かしながら行う瞑想の場合でも、動きながらも心身はリラックスしています。

「集中」フォーカス・アテンション

「観察」オープン・モニタリング

集中と観察は、ブッダの瞑想法では「集中系」を「サマタ(Samatha)」「観察系」を「ヴィパッサナー(Vipassana)」と言い、2つ合わせて「サマタ・ヴィッパッサナー」。
漢字では「サマタ=止」、「ヴィッパッサナー=観」で「止観」で、2つのバランスが大切だとされています。

「サマタ瞑想」は、呼吸やマントラ、イメージなどの対象に意識を向けることを続けていき、心の安定「サマーディ(三昧=定)」を養います。

「ヴィッパッサナー瞑想」は、その瞬間、瞬間に起こるすべてをありのままに観察し自覚し続けていくことで、「パンニャー(般若=智慧・洞察)」が育まれ、最終的には究極の平安である「ニッバーナ(涅槃)」に至る、というものです。(ヴィ=明確に、パッサナー=観る)
「ヴィッパッサナー瞑想」は、ブッダが悟りを開いた瞑想であるとされ、これが「唯一の道」であると言われています。

「ヴィッパッサナー瞑想」には「サティ(Sati)」という心の働きが不可欠であるとされています。
「サティ」はパーリ語で、その漢訳は「念」
「念」は、念力や念仏、信念、雑念などの念ではなく──「今」の「心」──まさに「今ここ」の意識。「今この瞬間に心を集中させ、判断をしないでありのままを観察する」という心の状態です。

今流行りの「マインドフルネス瞑想」の「マインドフルネス」という言葉は「サティ」の英訳です。
「マインドフルネス瞑想」は、ヴィッパッサナー瞑想から宗教色を排してエッセンスだけを残し、現代人にも受け入れられやすいようにシンプル化したものです。
「集中=サマタ」を「フォーカス・アテンション」といい、意識を集中して思考を絞り込み、気を散らすものを締め出すこととし、「観察=ヴィッパッサナー」を「リセプティブ」あるいは「オープン・モニタリング」といい、思考や感情、感覚に巻き込まれることなくモニターすることであるとしています。
「モニター」する意識というのは、自分の意識を一歩離れたところから眺める「メタ意識」であると言われています。
これが、気づき続ける「もう一人の自分」になります。

「祈り」プレアー(Prayer)

「祈り」は、ほとんどの宗教にみられる行為ではないでしょうか。
神仏に対してだけでなく、自然に対して祈りを捧げる、あるいは平和や幸福を祈る・・・。
祈祷や祈願、祝詞なども祈りではないかと思います。
仏教には「慈悲の瞑想」があります。

ヨーガにも「チャンティング」(マントラの詠唱)や「キールタン」(楽器などを使って歌うインド版の讃美歌)があり、
ホ・オポノポノにも「“わたし”の平和(The Peace Of “I” = POI)」などの祈りの言葉があります。個人の願望ではなく、他者に対する平和と幸福の祈りです。

「想像」イマジネーション

「想像」はヘミシンクによる誘導瞑想が最も得意とする分野です。詳しくは【ヘミシンク】のカテゴリーをご覧ください。
スピリチュアルあるいはトランスパーソナルに関連する誘導瞑想では、催眠療法(ヒプノセラピー)や、ブライアン・ワイス博士の「前世療法」があります。
白隠禅師の健康法「軟酥(なんそ)の法」も、酥(バター)という丸薬が頭上から足の裏まで流れ込んでくると想像しながら全身を癒していくという、これも想像、イメージングです。

(その後、私はヨーガの「アンタール・マウナ(Antar Mpona)」という瞑想を学びました。現在も実践しています(2020/7/25)。プラクティスはステージ6まであるのですが、ステージ3は「思考を意図的に創り出して手放す(Creating and disposing of thoughts at will.)」という練習をします。これはまさにヘミシンクのエクササイズで想像力を使うことに似ています)

種類ではなく「要素」

以上の5つは、瞑想の種類やタイプではなく「要素」です。
たとえば、観察系の瞑想にも集中やリラックスの要素は含まれています。
想像系の瞑想にも、リラックス、集中、観察は含まれています。
どの要素を強調するかによって違いが出てくるのではないかと思います。

さらに、指導者によって異なるテクニックが加わったり、ヘミシンクのようなツールが使われたりすることで、さまざまな瞑想法が存在しています。
たとえば、観察系の「気づき方」にも違いがあって、行為一つひとつに「ラベリング」をしていく方法と、「ただ気づいていく」方法があります。
歩行瞑想で、前者の場合だと、ゆっくり歩きながら、足を「上げる⇒運ぶ⇒下ろす⇒上げる⇒運ぶ⇒下ろす⇒」というように、心の中で実況中継していきます。
後者の場合は、大地と足の接する感覚だけでなく、風、音など周囲の様子も感じ、気づきながら、普通のスピードで歩きます。

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