ヘミシンク事始め

投稿日:2006年6月15日 | 最終更新日: 2020年10月20日

ヘミシンクのセミナーに初めて参加したのは、2004年の8月でした。
3泊4日の合宿形式。

最初はまったくわけが分からず、「金返せ!」と思ってしまいました。
しかし継続してよかった。諦めなくてよかったです。
それから1年半後、やっとコツをつかめました。
ブレイクのきっかけは「アクティブ・イマジネーション」でした。

詳しくは、拙著『あきらめない!ヘミシンク』に書きましたが、ここでは当時の文書をそのまま掲載しています。

モンロー研究所のことを知る

モンロー研究所のことは、森田健さんという方の本を通して1998年頃に知りました。

宗教色がないこと、特殊な音響技術ですぐに瞑想の達人の域の脳波にたどり着けるらしいこと、過去世なども自分で体験できること、ガイドと呼ばれる知的生命体にもすぐにでも会えそうなこと、だれにでも体外離脱ができそうなこと・・・たいへん魅力的に感じました(今から思えば「甘い!」です)。

「行きたい」と思いましたが、かなりの英語力が必要なようで、旅行の英会話程度では手も足も出ないだろうとあきらめていました。
それに、大体が、一週間も会社を休んで、さらに家族も放り出して行くには、結構な勇気が必要です。お金もかかるし。

その後、2000年に会社をやめて独立し、仕事にも多少余裕が出てきた頃、日本でもヘミシンクのセミナーが受けられるようになったという情報を得ました。
そこで、これを逃す手はないと、好奇心に駆られて参加しました。

睡魔と雑念

最初の合宿形式のセミナーでは、まったく右も左もわからず、とにかく、真っ暗な部屋でアイマスクをして横になって、ヘッドフォンをして、ヘミシンクを聴いて、ぼーっとしている・・・という状態でした。
そのうち、なんだか、い~い気持ちになってくる・・・そして、知らないうちに寝込んでしまって・・・ふと気がつくと、いつの間にかセッションは終わっている・・・この繰り返しでした。

情けないわ、腹は立つわ、金は戻ってこないし・・・。
同じ参加者の中には、「体外離脱できました」とか、「宇宙人と話しました」、「亡くなった誰それと話ができました」、「ガイドに会えました」などなど、いろんな発表があります。

「おいおいホンマかいな。嘘だろ?」「どうも怪しいなあ」と疑いつつも、「ホントだったら羨ましいなあ」とも思っていました。

「よし、今度は絶対寝ないぞ!」と力んでいると、体が緊張してうまくいかない。

たまたま覚醒状態を維持できていても、いろんな雑念が浮かんでくるだけ。
仕事のこと、家族のこと、腹の立つこと、悔しいこと、心配事・・・。
やんなきゃならないことを急に思い出してみたり、妄想に囚われてみたり。

その頃は、「ヘミシンクはただ聴いているだけで効果がある」と思い込んでいました。
たしかに聴かないよりはマシかもしれませんが、それだけでは不十分です。

「ヘミシンクによって誘導される意識世界に、自分がいかに積極的に関わっていくか」がキーポイントでした。

アクティブ・イマジネーション

何かが起こるのを待っていたり、誰かが来るのを待っていたりするだけではなく、自分から起こす、自分から行く、自分から話しかけてみる、自分で代わりに答えてみる・・・。

呼び水です。
すると、何かを感じることがある、何かが見えることがある・・・。

そこで--注意が肝心です。
焦って「よしよしよしよし、もっと見せろ~」と力んでしまうと、ぱあ~っ、と胡散霧消してしまうのです。

無意識というか “あちら” の世界は、非常に繊細です。
精妙です。微細です。
ですから、素直に変化を受け止めていく・・・という気持ちが大切です。

それに、とても声が小さいし非言語だし、何を言いたいのか、こちらにはよくわからない。
ですから、心静かにして、五感を研ぎ澄まして、感じ取らなければなりません。

無意識にも意思があります。
“あちら” は “あちら” で、“こちら” に対して言いたいことがあるのです。

ユング心理学では、意識の代表が「自我(ego)」であり、無意識の代表が「自己(self)」である、と言います。
「自我(ego)」は、この世を生きていくために絶対に必要な人格です。
しかし、あちらの「自己(self)」と乖離し対話が無くなってくると、いろんな問題が発生してきます。
ですから、自我と自己の掛け合いで、対話していく必要があるのです。

セルフあるいはハイアーセルフは、1人とは限りません。
2人、3人と登場してくる場合もあります。

人間の姿をしているとも限りません。
動物、植物、ときには石や岩など鉱物の場合もあります。

対話は、ほとんどの場合、非言語(ノン・バーバル)です。
シンボルであったり、何か別のものに言わせたり・・・。

ヘミシンクのエクササイズ中だけとは限りません。
普段の生活の中でも、無意識からのメッセージはいろんな形でやってくることがあります。
夢を通してやってくることもありあります。

とにかく、想像力(imagination)を駆使して対話を続けていくのです。
そうすることによって、自我と自己による新しい創造(creation)が生まれてきます。

参考になったのは、ユング心理学の「アクティブ・イマジネーション」という分析技法です。
それと、トランスパーソナル心理学でケン・ウィルバーが唱えた「意識の成長と進化のサイクル」理論。
これらについての詳細は、稿を改めてレポートします。

セレンディピティ

セレンディピティ(serendipity)という言葉は、ホレス・ウォルポール(Horace Walpole)というイギリスの作家が1754年に作り出した造語で、彼が子供のときに読んだ「セレンディップの三人の王子」(Three Princes of Serendip)という童話に由来するそうです(セレンディップはセイロン=現在のスリランカ)。
もとはペルシャの説話で、ヨーロッパに初めて紹介されたのは16世紀ころのことだそうです。

「幸運な偶然の発見」という意味で定着し、主に自然科学の世界で「失敗してもそこから見落としせずに学び取ることができれば成功に結びつく」という一種のサクセスストーリーやエピソードの一つとして語られ、もっとも代表的な例としてはフレミングによるペニシリンの発見が挙げられています。

むかしむかし、セレンディップに3人の聡明な王子がいました。王子たちにはそれぞれ賢い家庭教師がついていました。家庭教師たちは教育の仕上げに、旅でいろいろ経験させたいと進言し、王子たちは王である父に、見聞を広めるために航海に出たいと申し出ました。
そこで王は国を悩ませていた龍を退治する方法を探すように命じ、王子たちは王と相談しながら構想を練り、計画をたて、準備万端整えて、意気揚々と船出していきました。
しかし、緻密な計画はすぐに頓挫しました。周辺国を踏破し、龍の珠などの宝物を持ち帰るように命じられていたのですが、暴風雨に見舞われ、海賊に遭遇し、次々に思いがけない出来事が起こって、予定にはまったくなかった冒険を強いられたのです。
王子たちは果敢に立ち向かい、そのたびごとに成長していきました。船出する前には予想もしていなかった体験を積んで、さまざまな貴重な収穫を得て帰国しました。
王から頼まれた探し物は得られませんでしたが、立派に成長したことが何よりの宝物だとして、王は王子たちを迎え入れました。求めていたもの以外のものを手に入れることができたのです。
めでたし、めでたし。

王子たちは、もともと目的を持って旅に出たのですが(行動)、求めていたものではない出会いや冒険があり、それらをやり過ごすことなく(気づき)真剣に立ち向かう中で、新しい事実を受け入れ(受容)、想定以外の、そして予定以上の結果を得ることができたのです。

王子たちが、最初の目的を頑固に守り抜こうとしたら、どうなっていたでしょうか。
王が、最初の目的を達成しなかったので評価しないと言ったら、どうなったでしょうか。

1. 行動する(action)
2. 気づく (awareness)
3. 受容する(receptiveness)

この3つのプロセスは、日常生活でも繰り返し経験しているものです。
プレゼントを買いにデパートに行こうとする。事故で電車が止まり、別のルートを余儀なくされる。初めて降りた駅前のブティックで、ふと目に留まったものがある。「あ、これがいい」。買って帰り、渡すとすごく喜んでくれた。ラッキー!

ヘミシンクも同じです。

1. 最初は、リラックスしつつもアクティブに。
2. 精妙な動きに気づき、
3. 逆らわず変化を受け入れる。

そしてまた1.に戻って、こちらからアクションを起こす。
これをくり返していくのです。

得意科目

人によって、「視覚派」「聴覚派」「臭覚派」「触感派」「感覚派」「感情派」など、得意とする感じ方のタイプがあるようです。
「見えた!」と言われると、「ああ、私はまだ何も見えない。ダメだダメだ」と落ち込んでしまう人がいます。
でも、人によって得意な方法は違います。

・ガイドがそばにいる気配がしてきた。
・声が聞こえてきた。
・漢字が浮かんできた。
・亡くなった自分の子どもの臭いがしてきた。
・体の振動がまったく違ったものになってくる。
・嬉しくて(悲しくて)涙が止まらなくなった。

いろいろです。
ですから、得意な方法から始めて、それをどんどん伸ばしていく。

私の場合は、どちらかと言えば視覚的に見える方だと思います。
でも、やっているうちに変化してきます。
最近では少しずつ、気配がしたり、臭いがわかったり、体感が違うなど、今までとは違う感覚もわかるようになって来ました(少しですけど)。

ヘミシンクのエクササイズは、ヘミシンクを聴くという行為は共通ですが、かなり自由度の高い技法です。

トレーナーの方も、「それは違う」などと否定することは決してありません。
必ず、「すばらしいですね」「いい体験をされましたね」から始まり、「そのとき、あなたはどんな感じがしましたか?」「次は、これを試してみてはどうですか?」と誘導します。

100人いれば、100通りの「やり方」がある、と思います。
100人いれは、100通りの「感じ方」がある、と思います。

自由度が高いがゆえに、一人一人の「創意工夫(originality)」に負うところが大きいです。
自分で工夫しないとダメ。トライ・アンド・エラー。

そのためには、「ああしたら、どうなるだろう」「こうしたら、何が起きるだろうか」といった、子どものようなワクワクした「好奇心(curiosity)」を持続させていくことが大切だと思います。
「無邪気(innocence)」に楽しむ、という感覚。

ヘミシンクのセミナーでは、セッションが始まる前に必ず、トレーナーから「Have Fun!」と声をかけられます。

「Have Fun!」
「楽しみましょう!」

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