スピリチュアル・エマージェンシー

投稿日:2009年11月10日 | 最終更新日: 2020年10月10日

「好きなことをやればいいんだよ!」
 ――でも「私の好きなことって何でしょうか?」

「ワクワクすることをやりましょう!」
 ――でも「何がワクワクすることなのか分かりません」

「嫌なことは絶対にするな」
 ――別に「嫌っていうほどのこともないし」

「人生、目的を持って生きるべきだ」
 ――「それが分かれば苦労はしません」

「生きがいって何ですか?」
「何で生きなきゃダメなんですか?」
「あなたは、なぜ生きているんですか?」

不安になり始めると、どんどん不安になってきます。
悩み始めると、ますます深みにはまります。
しかし――人間だから悩むのです。
地球上で人間以外の生物に悩みはありません(たぶん)。
悩みは、成長のためのチャンスでありプロセスです。

学生時代に、根源的な問いに悩んでいた時期がありました。
「何のために生まれてきたのか」「なぜ生きているのか」「宇宙はなぜ存在するのか」などなど。
傍から見れば、入学したとたんに目的を喪失した大学生のように見えたかもしれません。
確かにそういう面もありましたが、自分では崇高なテーマで悩んでいると思っていました。
「この問題が解決しないと前に進めない」と思い込んでいました。

授業には出ず、試験も受けず、留年しました(クラブ活動だけはやっていました(少林寺拳法部))。
後になって「哲学神経症」という言葉があることを知りました。
たぶん、そんな感じだったと思います。

およそ2年間悩んだ末に、やっと気づきの時、目覚めの時がやってきました。
パーっと霧が晴れるような感じでした。問題が解決したわけではありません。
解決はしていませんが、生きていこうと決意したのです。
普通の学生として復活しました。
その時の気づきは、次のようなものでした。

「まどろみの中から意識が生まれ、意識の中から意志が生まれた。意志は選択するために生まれてきた。意志はひと時も休むことなく選択を続けている。何を選ぶかは意志の自由だ。私たちは何を選ぶかを問われている。あなたは、何を選びますか?」

トランスパーソナル心理学の用語に「スピリチュアル・エマージェンシー(S.E.)」という言葉があります。
「精神的危機・霊的危機は、人間的成長・霊的成長のチャンスでありプロセスの一部である」といった概念です。
私の哲学神経症は、ひょっとしたら、それだったのかもしれません。
その後も周期的に悩みの時期(S.E.)はやってきました。
何度目かのS.E.のときに、心理学を学び直しながら、ヘミシンクのセミナーに参加し始め、しばらくして「トランスパーソナルの探求」を後半生のテーマに選びました。

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