『食えなんだら食うな』

投稿日:2019年6月30日 | 最終更新日: 2020年10月10日

今からおよそ40年前、曹洞宗の禅僧「関 大徹」大教師の著した自伝的人生論。

『食えなんだら食うな ― 今こそ禅を生活に生かせ』

長らく絶版になっていて、古書でも手に入らず、幻の本と言われていましたが、このたび待望の復刻。早速入手。

噂に違わず、素晴らしい本でした。たくさんの、感動的なエピソードが力強い言葉で綴られています。一つ一つが、心に響きます。シビれます。何度も読み返しています。

執行草舟氏の「解題 ─ 復刻に寄す」から抜粋します。熱いです。

私は本書を、四十年間に亘り書斎の正面に並べ、ずっと読み続けてきた。毎日、眺め、声をかけ、触り、そして読んで来た。私の人生哲学の重大ないくつかは、本書からもたらされてきたのだ。

本書は、そのような数少な名著の中の名著の復刊なのだ。手に取る読者の方々は、ここから新しい人生が生まれると思ってくれていい。本書にはそれだけの力があるのだ。著者の関大徹老師は、禅の最高境地を生き抜いた本物の大人物である。禅僧というだけではない。人間として最高の人間なのだ。私が知る最高の魂をすべて具現している。

だから、この本は死ぬ気で読んでほしいのだ。すべてを信じて読んでほしいのだ。

そうすれば、読む者の中に生の飛躍が起きるに違いない。ひとつの革命が読む者の人生に訪れてくるだろう。それが、読む者の運命を創り上げていく。本書を自己の座右に置けば、必ず運命の回転が訪れてくる。

一つだけエピソードをご紹介します。
「自殺するなんて威張るな」pp.161-162

 もう一人の男は、受験浪人だった。何度かめざす一流大学に挑んでは、敗れた。そして、睡眠薬を嚥(の)んだ。助かったところを、やはり母親に連れられてやって来た。

 この青年にも「死神」がついていた。私は何もたずねなかったが、おそらく彼の心中をいえば、一流大学へ入れぬぐらいなら、死んだほうがマシだといったようなつもりらしい。

 いまどきの青年に多い、視野の狭い、それゆえに、一途さのある若者なのだろう。お寺では型どおりに坐禅をし、作務をした。しかし、何日たっても彼の「死神」は、離れていかない。一流大学への入学か、さもなくば死かという選択が脳裏から離れぬものと見えた。

 ある朝、暁天の坐禅で、私は警策を持って歩いていた。坐った彼の上体が、ふらふらと動いていた。私が前に立った。この場合、禅の作法で、合掌して、警策を受ける姿勢をとらねばならない。私は、手をそえ、その姿勢をとらせ

「喝!」
 と一撃を加えた。一撃を加えつつ、

「自殺するなんて」
 と怒鳴った。一撃。

「威張るな」
 一撃。彼は、殆んど飛び上がりそうになった。

 飛び上がりそうになって、しゃんと坐った。彼は、めざめたのである。一流大学以外にも大学があること。一流大学を出なくても、立派に人間らしく生きている人がいるという平凡な事実とが、わかったのである。その後、彼はかなり長い間、吉峰寺にいたが、やがて、山を降りて行った。

 暫くして、母親から手紙が来た。彼の勉強部屋を覗いたら、「自殺するなんて威張るな」と書いて貼ってあるという。

食えなんだら食うな ― 今こそ禅を生活に生かせ(1978/8)山手書房
食えなんだら食うな(知的生きかた文庫)(1990/12)三笠書房
食えなんだら食うな ― 今こそ禅を生活に生かせ(2019/6/1)ごま書房新社

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