DYING TO BE ME ―― 「何をするか」ではなく「どう在るか」
投稿日:2014年1月7日 | 最終更新日: 2020年10月16日
素晴らしい本でした。
『喜びから人生を生きる! 臨死体験が教えてくれたこと』
著者:アニータ・ムアジャーニ
翻訳:奥野 節子
出版社:ナチュラルスピリット (2013/6/18)
著者のアニータは末期がんに蝕まれ、死を迎えようとしていました。
そして、24時間の昏睡状態の後、奇跡的に生還しました。
その間、彼女は臨死体験を経験しました。
そして、生還後、短期間のうちにすべてのがんが一つ残らず消えてしまったのです。
この奇跡は、医学会でも注目を浴び、がん専門医のカンファレンスで紹介されました。
臨死体験の最中、彼女は大いなる気づきを得て、再び生きることを自ら選択し、戻ってきました。
戻るとき、がんは完治していることを確信していたそうです。
本書は、たくさんのことを教えてくれました。
神は、“存在” ではなく、“在り方” です。
“どこ” ではなく、“ここ” に在ります。
何かを求めて “行動する” のではなく、ありのままに “存在する” こと。
“存在すること” とは魂でいることで、ありのままを許容する状態にあります。それは、判断をせずに、自分自身でいることを意味します。“存在すること” は、何もしないということではありません。むしろ、自分の感情に従って行動するということで、今この瞬間にいるのです。一方、“行動すること” は未来志向で、現在の感情がどうあれ、特定の結果を達成するために、思考が一連の仕事を生み出します。
自分の行いが、“存在すること” によるものか、それとも “行動すること” によるものかを知るには、日々の決断の背後にある感情を見ればよいと、私はわかりました。それは、恐れですか、それとも情熱ですか? もし毎日の行為が、人生に対する情熱や意欲から生まれているなら、“存在する” 状態にいます。でも、もし恐れによって行動するなら “行動する” 状態にあります。(223p-224p)
方法論は別にして、真理はホ・オポノポノと同じだと思いました。
“存在すること” は、ホ・オポノポノで言う “ゼロ” の状態と同じです。
原題の『DYING TO BE ME』は、直訳すると2つの意味があると思いました。(間違っていたらごめんなさい)
- 「Dying to do」は、「死ぬほど~したい」「~したくてたまらない」というイディオムなので ―― 「死ぬほど自分で在りたい」つまり「自分で在りたくてたまらない」「自分らしく在りたくてたまらない」。
- 本書は臨死体験であることから、「私になるために死ぬ」「死ぬことを通して自分になる」―― 臨死体験を通して、はじめて自分らしく生きることができるようになった。