「天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの、私たちの使命です。」

投稿日:2011年10月24日 | 最終更新日: 2020年11月20日

震災の翌日に行われるはずだった卒業式から10日遅れで行われた、宮城県気仙沼市立「階上中学」の卒業式。2011年3月22日。
卒業生総数57名の内、3名が震災の犠牲になりました。
テレビで放映された卒業生代表、梶原裕太君の答辞。
涙を堪え、歯を食いしばりながら読み上げたその言葉は、力強いメッセージです。

NHKのニュースウオッチ9で放映されたそうです。

『“涙が止まらなかった”広がる感動 15歳の答辞 「天を恨まず」』
「平成22年度の文部科学白書に、東日本大震災で被災したある中学3年生の卒業式での答辞が全文掲載されました。彼の言葉は全国の人々を勇気づけ、支援の輪が広がりつつあります。」

平成22年度の「文部科学白書」に、答辞の全文が掲載されています。

卒業生代表の言葉

 本日は未曽有の大震災の傷も癒えないさなか,私たちのために卒業式を挙行していただき,ありがとうございます。
 ちょうど十日前の三月十二日。春を思わせる暖かな日でした。
 私たちは,そのキラキラ光る日差しの中を,希望に胸を膨らませ,通い慣れたこの学舎を,五十七名揃って巣立つはずでした。
 前日の十一日。一足早く渡された思い出のたくさん詰まったアルバムを開き,十数時間後の卒業式に思いを馳せた友もいたことでしょう。「東日本大震災」と名付けられる天変地異が起こるとも知らずに…。
 階上中学校といえば「防災教育」といわれ,内外から高く評価され,十分な訓練もしていた私たちでした。しかし,自然の猛威の前には,人間の力はあまりにも無力で,私たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というには,むごすぎるものでした。つらくて,悔しくてたまりま
せん。
 時計の針は十四時四十六分を指したままです。でも時は確実に流れています。生かされた者として,顔を上げ,常に思いやりの心を持ち,強く,正しく,たくましく生きていかなければなりません。
 命の重さを知るには大きすぎる代償でした。しかし,苦境にあっても,天を恨まず,運命に耐え,助け合って生きていくことが,これからの私たちの使命です。
 私たちは今,それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。どこにいても,何をしていようとも,この地で,仲間と共有した時を忘れず,宝物として生きていきます。
 後輩の皆さん,階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が,いかに貴重なものかを考え,いとおしんで過ごしてください。先生方,親身のご指導,ありがとうございました。先生方が,いかに私たちを思ってくださっていたか,今になってよく分かります。地域の皆さん,これまで様々なご支援をいただき,ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
 お父さん,お母さん,家族の皆さん,これから私たちが歩んでいく姿を見守っていてください。必ず,よき社会人になります。
 私は,この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。
 最後に,本当に,本当に,ありがとうございました。

平成二十三年三月二十二日
  第六十四回卒業生代表
       梶原 裕太

出典:文部科学白書 平成22年度 (2010)「東日本大震災への対応」

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